sayucafe’s blog

日常に満ち溢れる奇蹟

実践するからこそ悟れるということ

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今回は、昨年末、個人的に開催した〝発表会〟を通して、神様の心情や、神様の身体となって働くことについて、気づいたこと、感じたことをお話ししたいと思います。


私が今、〝個性〟を伸ばすためにメインで取り組んでいることが2つあります。


その一つが〝エレクトーン〟です。


(エレクトーン は、ヤマハ株式会社が製造発売する電子オルガンの商品名です)


エレクトーンを始めたきっかけは、兄弟姉妹の証を読んで、悟ったことがあったからです。


実は、1年ほど前に受けた〝感動〟の理由を、兄弟姉妹の証によって気付くことができました。
気付いたときは、再び感動で心がいっぱいになり、すぐにでも行動せずにはいられない衝動にかられ、また力が湧いてくるのを強く感じました。


(いつも沢山の気づきや、力や勇気を与えてくれる兄弟姉妹に心から感謝いたします。)



それが昨年の10月の出来事でした。


エレクトーンが御心かどうかは、まだ悟れていませんが、〝音楽〟が神様の御心なのだということは、強く感じています。



兄弟姉妹の方たちの証を読ませていただいた中でも、〝音楽〟に関係することに取り組んでいる方が多い印象に驚いていますが、神様は、その音楽の中でも、兄弟姉妹それぞれにあった個性才能を生かす道に、導いてくださいますので、兄弟姉妹の今後の音楽活動をすごく楽しみにするとともに、活躍をお祈りしています。



エレクトーンを選んだ理由は、家にあったからというのも理由の一つですが、何よりも、エレクトーンは、神様が与えてくださった、音楽の世界の〝テクノロジー〟だと感じているからです。



テクノロジーが進歩していくことができているのは、神様が人間にアイデアをくださっているからです。


テクノロジーの進歩とともに、神様の歴史は壮大になされていく
http://rapt-neo.com/?p=50926



エレクトーンも、まだまだこれから進歩していく可能性のある〝機械〟だと感じています。




私は、小学生の時にピアノを習っていましたが、レッスンにはあまり前向きではなく、中学校へ進学とともに辞めて以来、ピアノとは離れていました。



習っていたといっても、楽譜をかろうじて読める程度。
エレクトーンには足で弾くベースもあり、ピアノとは異なる部分が多く、一から独学で学んでいるところです。


やり始めると、夢中になり、何時間でも練習できてしまうのですが、他にも色々立てたい条件があるので、時間を決めて、集中して取り組んでいます。


集中して取り組むために、
エレクトーンの練習の前には、必ず聖書を読み、祈りを行ってから取り組んでいます。


そうすると、本当に練習の結果が変わってきます。


頭の中から雑念が消え、集中して練習できるので、上達のスピードが驚くほど違うと感じています。


集中が切れ、雑念が頭の中にある状態で練習した日は、これまた驚くほど、ミスの連発…。
時間を無駄にしないためにも、集中して取り組むために、〝聖書〟と〝祈り〟が本当に重要だと感じています。


Raptさんが、聖書を読むのは、肉的なことを行うためということも、理由の一つだと常々おっしゃられていたことが、エレクトーンを始めたことによって、ようやく理解できました。


私はこれが理解できていなかったからこそ、信仰が観念的になっていたのだと、改めて気付きました。



そんな中、独学で練習していると、曲が弾けるようになっても、誰かに聴いてもらうわけではないので、間違えてもある意味大丈夫…。また次やればいいという考えになってしまい、どうしても緊張感に欠けてしまうと感じていました。


どうしたら良いか考えた結果、〝発表会〟を開くことを思いつき、神様にそのことを祈り求めました。



エレクトーンを始めたばかりで、当たり前ですが、発表会を開いたこともなかったのですが、今自分ができる精一杯を尽くしてやろうと思い、曲の選曲や、プログラム作り、来てくれた人に喜んでもらえるように、手作りプリンを用意したり、神様に祈り求めながら、色々準備しました。


今回は、初めての試みでしたので、私の両親だけを招くことにしました。



しかし、発表会の数日前から、練習の時に、何回弾いても演奏が間違いだらけとなる状態に陥りました。


今まで練習で弾けていた曲なのに、急に弾けなくなってしまったのです。


まさに、御言葉で出ていた通りの状態でした。


今までできていたことも出来なくなる。
それは祈りが足りないからだと。


朝の祈り会(2019年12月26日)



発表会は目前。

このままではまずいと思い、神様に〝完璧に弾けるように〟必死で祈り求めました。


しかし、3回に1回はミスをしてしまうという状態。
それは、発表会直前の練習でも変わりませんでした。



そして、発表会が始まりました。


発表会は、神様の喜ばれるように、神様と共に成したいと祈っていました。


1曲目はやはりミスだらけ…


あと2曲は間違えずに弾きたい。


私は神様に必死で祈りました。


しかし何か違う。


完璧に弾けないのは、私の実力が足りないから。

私の責任。

完璧に弾きたいという気持ちは、自分のためだ。


(もし祈るとしても、練習の成果を出せるようにと祈るべきだったと後で考えました。)


そのとき、ハッと気付きました。


神様が望んでいらっしゃるのは、聞く人を楽しませたい、力を与えたいということ。
神様はいつも、自分のことではなく、相手のことを思い、考えていらっしゃるのだと。


神様と共に成したいと思っていたのに、神様はどう思っていらっしゃるか、神様の心情が分かっていなかったと気付き、心から悔い改めて、聴いた人が力を受け、聖霊を感じるように、神様の御心通りに行えるように、祈り求め直しました。



そのことに、気づいたら、演奏も力が抜けて、緊張はしましたが、私自身も楽しんで、心を込めて弾くことができました。


神様の心情を悟って、神様の力を受けて、神様と共に演奏ができた…と、とても恐れ多いですが、その時は感じました。


結局、演奏はミスがいくつかありました。
それは私の実力不足。私の責任。


けれど、神様の偉大な力を本当に感じましたが、両親は、私の下手な演奏に感動し、涙してくれていたのです。



〝楽しませようとしてくれてありがとう〟



母に言われた言葉です。

神様の気持ちが伝わったんだと感じ、心が熱くなりました。


演奏を例にすると、神様の身体となって働くということは、神様の思いをのせて演奏するということなのかな…と思いました。


私がもっと実力を身につけたら、もっとたくさんの人に、神様の栄光を輝かすことが出来るんだ…


と考えたら、より一層、気を引き締めて、神様のために最後まで頑張りたいと思いました。


私のような実力のまだ無いものでも、神様はそのレベルに応じて使ってくださる。


やらないのは勿体ない。


改めて、自分の考えを捨てること、
そして神様の考えや心情を、もっと悟ることが大事だと気付きました。


1日も早く、本当の実力をつけて、神様の身体となって働けるものになりたいと、強く強く感じました。



今回の発表会は、色々なことが悟れた、大変貴重な機会となりました。
心から感謝いたします。



神様を知り、御言葉を知り、実践することで、これからの世の中がどう変わろうとも、どんな状況に陥ったとしても、神様が答えをくださり、常に心に希望や夢を抱き、成長に導かれ、喜びの中生きられます。


夢があるけど、この世の中では、希望を持つことができないと思っている人。
努力は報われないと感じている人。
そんなあなたに知って欲しいです。



今回も、最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。



皆様が、神様と出会い、愛と希望で満ち溢れますように。


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