sayucafe’s blog

日常に満ち溢れる奇蹟

〝神様はいつも見ていてくださっている〟ことを深く感じた11月11日の祝祭の日

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こんにちは。
ご訪問くださりありがとうございます。
前回の記事から少し間が空いてしまいましたが、
皆さまお変わりありませんか?


RAPTさんのブログ有料記事にて、御言葉を長い間、見聞きしている方はご存知の通り、今週の月曜日11月11日は、神様と私たち人間が互いに出会ったことをお祝いする祝祭の日でした。


祝祭の日について詳しくはこちら


私の初めての祝祭の日に起きた出来事についてはこちら


今回の祝祭の日は、私にとって3回目。


1回目の祝祭の日は、神様の存在を本当の意味で知ることができた日でした。


3回目となる今回の祝祭の日は、神様をより近く、深く感じることが出来た、感慨深い一日となりました。


さらに今回は、前日の10日から祝祭の日と同じように、サタンの妨害から守ってくださっており、今振り返ってみても、すごく充実した一日でした。
家族揃って近所の公園に出掛けただけなのですが、旦那も子供も、口を揃えて今日は楽しかった!と言うほど、恵み深い一日を過ごすことが出来ました。


神様は、私の家族も恵みで満たしてくださったのだということに気付き、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。



実は、祝祭の日を迎える前までは、正直、不安と期待が入り混じったような気持ちが、少なからずありました。
(不安は罪の感情ですので、すぐに打ち消しましたが…)

祝祭の日とは、今まで御言葉通りに義の条件を立ててきた者には祝福を与えてくださり、逆に御言葉通り義の条件を立てて来なかった者には、その事に気付くようにと、裁きが与えられる日です。
(もちろん裁きも神様の深い愛ゆえです)


少し前に、これからは〝証〟をしていくようにと御言葉が出ており、勇んで証を書こうと取組む中で過去を振り返ったときに、自分がどれだけ〝御言葉〟通りに生きることが出来ていなかったのかが、自分の中で露わになったからです。


気付いた時は、本当に愕然としました。


真面目に信仰生活を送っていた〝つもり〟になっており、自分を捨てることが出来ていなかったばかりか、自分の基準で行ってきてしまったのだと気付いたのです。


神様の基準で条件を立てられるようにと祈り求めていながら、自分の考えを残したまま行っていたのです。


自分の考えを残したまま行っていたから、自分はやったと(勝手に解釈して)思っていても、ふと気付くと何の結果も残せていなかった…という状況に陥っていたことに気付きました。


土台の部分がしっかりしていなかったから、次元を上げることが出来ていなかったのだと。


自分の基準で物事を考えていたから、〝やったつもり〟になり、御言葉通りに生きることができていなかったのです。
そして、それが成長を阻害していた要因だったことにも気付きました。


それに気付いてからは、毎日いつも以上に御言葉の復習に力を入れてきました。
(それで更新に間が空いてしまいました💦)
復習すればするほど、今の足りない自分に当てはまる必要な御言葉ばかりで、毎日そのことに気付いては、悔い改める日々を過ごしていました。


そして、終末の裁きについて、あらかじめ御言葉で教えてくださっている今、そのことに気付くことができたことに、神様の深い憐みを感じ、本当に心から神様に感謝致しました。


とても、御言葉通りに生きれているとは言えない状況に、神様に申し訳なく思い、祝祭の日は、どんな日であっても受け入れると決心し、私はただ、神様とRAPTさんに救って頂いたことを心から感謝し、賛美し、そしてどんなことが起きても、その出来事を通して〝証〟ができるようにと祈り、当日を迎えました。


今回は平日でしたので、時間の制限があり遠出はできませんでしたが、事前に祈って計画を立てていた通り、普段行かないところに行き、普段食べないものを食べて過ごしました。


信仰生活をしていると、つい〝いつもと同じ〟場所や生活リズムの繰り返しになり、どんどん視野が狭くなりがちでしたが、そんな私を、こうして普段行かない場所に連れ出してくださり、新しい味覚にも出会わせてくださったことで、すごい刺激になり、これからの信仰生活や個性才能に関する新たな考えが色々巡りました。
〝新しいことに挑戦〟していくことで、将来の可能性がどんどん切り開かれていくのだという御言葉を実感した、本当に恵み深い一日でした。


また不思議なことに、一日の流れがすごくゆっくりで、いつもより沢山のことを行えたのにも関わらず、いつもより時間が過ぎるのが遅く感じました。


この日は、ほぼ計画通りに進みましたし、途中少し遅れてしまったかな?と思っても、逆に無駄なくスムーズに過ごすことができて、サタンの妨害がないと、こんなにも違うのかと改めて思いました。
この祝祭の日を守ってくださっていることに、本当に感謝の気持ちでいっぱいになり、改めて神様に感謝の気持ちを申し上げました。


そして、ふと気付きました。


私はいつも、一日24時間がとても短いと感じていて、どうしたらもっと条件が立てられるのか考えていたのですが、この日はいつもと違い、霊的にも肉的にも条件を立てつつ、新しいことも行うことができ、本当に充実した一日を過ごせました。
まさに、いつも祈り求めていた〝時間を効率的かつ有効的に使う〟ということの、理想的と思える一日を過ごすことができていたことに気付き、本当に驚きました。

逆を言えば、普段どれだけ無駄な時間を過ごしていたのか、改めて見直す機会にもなりましたが…
本当に御言葉で出ていた通りです。


他にも気付きがあったのですが、今回一番感じたのは、〝神様はいつも見ていてくださっている〟ということを悟ったことです。


個性才能を伸ばすために〝今取り組んでいる事〟があるのですが、それを行うとき、いつも祈ってから行いますが、この日はいつも以上に神様を側に感じながら取組むことができました。


うまく表現できないのですが、
そのことを行う時に、他のことを行う時よりも、特に力を与えてくださっているということを顕著に感じました。
神様は私の行うことをいつも見ていてくださっているのだ…ということをしみじみ感じ、心から感謝の気持ちが溢れました。
そして、神様の気持ちに応えたい、そのための実力を絶対に身につけたいという気持ちがより強くなり、私の中の神様への愛がさらに深まりました。


(今取り組んでいることについては、別途お話ししたいと思います。)


神様のことをより深く感じることができたのは、祝祭の日でサタンの妨害から守られていたから、というのはもちろんですが、今回、頭の中を御言葉で満たせるように、重点的に御言葉を復習したからこそ、さらに、御言葉通りに生きれるように、もがいたからこそ、神様を深く感じることができたのだと思います。


御言葉を復習すればするほど、雑念が減り、頭の中がスッキリしていく感じがわかったからです。


その感覚は本当に爽快です。


過去の御言葉であっても、常に新たな気付きを得られるのは、御言葉がこの世の〝真理〟だからなのだと、改めて感じずにはいられませんでした。


サタンに主管されたこの世の中で生きていると、どれだけ間違った考えが頭の中に入り込み、それによってどれだけ頭がモヤモヤとスッキリしない状態になっていたのかも、よく分かりました。


私たち人間が、本来の姿を取り戻すには、RAPTさんが伝えてくださっている神様の御言葉しかありません。


私たち人間の幸せを誰よりも強く願い、深い愛で導いてくださっているのは、神様と、その神様の御言葉を伝えてくださっているRAPTさんに他なりません。


一人でも多くの人が、RAPTさんが伝えてくださっている神様の御言葉に出会い、救われますように。

そして、本当に悔いのない幸福な人生を送って欲しいと、心から祈ります。



最後に…
神様はプチサプライズも用意してくださっていました。
偶然と言われれば、それまでのことなのですが(神様の世界では偶然はありませんが…)私自身は図ったわけではないのですが、ちょうど祝祭の日に、10回目の聖書の通読が終わったのです。
今年は、2ヵ月に一回の通読が目標でしたが、途中ペースが落ちてしまい、少し遅れ気味でした。
そして今計算したら、12月31日の最終日まで、同じペースで読み進めれば、年内にもう一回通読できるということに気付きました!
そのページ数も、なんと私が一日の目標にしていた40ページ!
まるで、最後まで一日も気を抜くことなく、条件を立て続けるように、導いてくださっているように感じます。


今回の祝祭の日を通して、改めて神様の深い憐みと、深い愛を知ることができ、より一層、神様に愛をお返しできるものになりたいと、強く感じました。
まだまだ未熟者の私ですが、最後まで神様と共に全力で努力していきたいです。


今回も、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。


皆さまが愛と希望で満ち溢れますように。





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