sayucafe’s blog

日常に満ち溢れる奇蹟

裁きを通して神様の深い愛を悟った経緯

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こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
sayuです。

前回、私がRAPTブログに出会ったことで、もたらされた人生の変化ついてお話しさせて頂きました。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

人それぞれ置かれている状況は違っても、その人が求めている答えを与えくださるのが、RAPTさんが伝えてくださっている御言葉です。


今回は、私がどのようにして、変化するに至ったのか、実際に私に起きた、ターニングポイントともいえる重要な出来事をお話ししたいと思います。


私は論文を完成させたあと、11月から本格的に信仰生活を実践するようになりました。

11月11日の神様との祝祭の日についての御言葉を聴き、私もお祝いがしたいと強く思ったからです。


【RAPTブログ-有料記事 11月11日の主の祝祭についての御言葉】


いざ信仰生活を始めようと思ったものの、最初はお祈りの仕方がわからず、RAPTさんのブログに書かれているお祈りの方法や、朝の祈り会の代表祈祷を参考にして始めました。


【RAPTブログ-何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします】


11月11日を神様とどう過ごしたら良いのか、どうしたら神様が喜んでくださるのか、明け方の祈りの時間に、神様に相談してはいましたが、結局何も決められず、何の準備も出来ないまま、当日を迎えてしまいました。
 

当日は、神様のことを考えて過ごしてはいましたが、子供の世話や家事に追われ、特別なことはしないまま、時間だけが過ぎていました。


少し時間ができたので、聖書を読もう!と思い、神様に、聖書が深く読めますようにとお祈りをし、読み始めました。
時間ができたのは、たまたま家にいた旦那がめずらしく協力してくれたことがあったからでした。
しかし、読み始めてしばらくしたら、強烈な眠気に襲われて、寝てしまいました…


しばらくして目が覚め、慌てて起きたときに事故は起こりました。


足が痺れていたのですが、これくらい大丈夫だろうと思い、歩き出した瞬間に倒れ、家具に顔面を強打してしまったのです。


その瞬間すぐに神様に裁かれた!と思いました。


強打したところは、青く膨れ上がっており、顔半分がまるでお岩さんのようになっていました。
そのまま起き上がることも出来ず、裁かれたのだということが頭から離れず、しばらく呆然としていたのを覚えています。


翌日は日曜日だったので、ひたすら神様に罪を悔い改めて祈り、聖書を読み、御言葉を聴いて過ごしました。

そのときは、どんな罪で裁かれたのかはわかっていませんでしたが、私の今までの人生は罪だらけなのだから、思い付く限りの罪を悔い改めて祈りました。


そして、ふと気付きました。

怠惰の罪だと。


神様が、せっかく自由になれる時間を与えてくださったのに、寝てしまい、怠惰の罪に溺れていたのだということ。
RAPTさんが伝えてくださっている御言葉から、それを悟ることができました。


【RAPTブログ-有料記事 勤勉と安息と主の祝祭】



あんなに時間が欲しいと思っていたのに…
だからこそ、神様が自由になれる時間を与えてくださったのだというのに、まさに恩を仇で返すようなことをしてしまったのだと、心から悔やみました。
裁かれて当然だと思いました。


そして、それに気付かせてくださったことを、神様に心から感謝致しました。



数日後、いつものように御言葉を聴いていたときのことです。


急に、このRAPTさんの伝えてくださっている、神様の御言葉は、神様からの愛なんだ!たくさんの御言葉を通して、こんなにも私たち人間に愛を伝えてくださっているんだ!
そう気付いたら、深い感動で涙が止まらなくなり、ただ感謝の気持ちで心がいっぱいになりました。


神様は、こんな愚かな私でも、救ってくださり、憐れんでくださり、導いてくださるのだと。
神様のどこまでも深い愛が心に溢れてくるのを感じました。
それを感じたとき、今まで私が抱えていたものは、なんてちっぽけなものだったのかと、もう他のものは何もいらないと、心の底から思ったのを今でも忘れません。

そして、その神様の御言葉を聴くことができていることが、奇蹟だとも感じました。


信仰の浅い私が、神様の御言葉を聴くことができているのも、神様の愛に導いて頂けたのも、全てはRAPTさんのおかげです。

RAPTさんの先生や、RAPTさんが、誰よりも祈り、努力され、神様と愛を深めてこられたからこそ、私は救われたのだと。
神様から遣わされた方だからこそ、RAPTさんが伝えてくださっている御言葉を聴くと、力が湧いてくるのだと思ったら、RAPTさんの偉大さ、凄さを改めて感じましたし、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。


このとき初めて、今までの私は、御言葉をただ頭で知識として聴いていただけなんだとも悟りました。


そして、この悟りを得ることが大きな祝福であり、人生を変えていくことができるのだということを、RAPTさんは御言葉で、自身の経験を通してわかりやすく教えてくださっています。


このときからが、私の本当の信仰生活の始まりでした。
怠惰の罪や、他にも抱えていた根深い罪を悔い改めて、自分が捨てるべきものを、神様に祈り求め、捨てていきました。

とてもここで全てを語ることはできませんが…

サタンに主管された罪深い生活を、何十年と生きてきたのですから、無くすことは容易ではありませんでした。

ですが、怠惰を悔い改めて、毎日を一生懸命に勤勉に生きてこそ、霊的にも肉的にも成功できるのだということ。
人生をより良い方向に変えていけるのだということ。
このときの悟りが、その後の信仰生活をする上で、私の基盤となりました。


私はこの出来事によって、神様の存在をより確信するだけでなく、神様がどこまでも深い愛の方なのだということを、悟るに至りました。


私にとって一生忘れられない、大事な、大事な、神様との思い出です。


顔の打撲ですが、奇蹟的に、骨一つ折れていませんでした。
その後も、包帯も眼帯もすることなく、お岩さんの状態は一週間ほどで良くなり、周囲の人を驚かせたのはいうまでもありません。
全ては神様が、私に罪を気付かせるために、計らってくださったのだと感じています。

その時の詳細については、RAPTブログ読者の証言で、証させて頂いております。
お時間ありましたら、お読みくださると幸いです。


RAPTブログ読者の証言〈VOL.35〉11月11日の祝祭の日に受けた主からの恵みについての証言7


今も、自分の信仰が形骸化していると感じるときには、自分の書いた証言を見て振り返っています。
そうすると、この時の神様への愛や感謝の気持ちが心に満ち溢れ、力が湧いてくるのを感じます。

神様の愛は色褪せることがないのだと、心から感じ、また何よりも、証をすることで、私の信仰を守ってきてくださったのだとも感じています。

新たな悟りを得るたびに、神様への愛は深まるばかりです。

改めて、神様は全てを益にしてくださる方だと、心から感じています。

私はまだまだ変化の途中です。
まだまだ足りてません。
一日も早く成長し、たくさんの実力を身につけ、御心を成していくものになりたいです。


今回も、長くなってしまいましたが、最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。


皆さまに神様の祝福がありますように。